音楽療法の成り立ち

音楽療法と聞いて「そんなものが効くわけがない」と言う人は最近では少なくなりましたが、昔までは相当な誤解と偏見があったものです。その成り立ちと歴史を簡単に眺めてみたいと思います。

音楽が人間の心に何らかの影響があることは大昔から「なんとなく」経験的に人類は知っていました。そして心が体に影響を与えることも(その逆も)やはり医学の進歩より以前に考えてはいました。その二つはなかなか学問とならず、体系化されず、ノウハウも個人的なものにとどまっていました。

各地の古代宗教でも音楽によってトランス状態、瞑想に入ることが大きな役割を果たすことがあります。旧約聖書でもダビデが悪霊に怯えるサウル王を竪琴で癒す場面が現れます。日本の古代神話でも音楽や舞の力で目的を遂げるシーンがよく出てきます。

これは個人的な音楽家の力で成り立っていて、その後にノウハウも方法も伝わっていません。完全に個人の演奏家、音楽家の力量の問題だったのです。しかしそんな素晴らしい音楽家達も受難の時代を迎えます。

中世では音楽で心を惑わす悪魔や物の怪として、治療や癒しのための音楽が弾圧される場面が出てきます。魔女狩りなどは有名ですが、酷い話では音楽それ自体が人心を惑わすとして禁止される国さえあったのです。

それだけの扱いを受けても、やはり音楽そのものは人間にとって必要なのでしょう。無くなりもせず発展し、音楽理論はバロックから古典音楽にかけて著しい発展を遂げます。ここで蓄えられたノウハウは音楽の作曲と演奏について膨大なものがありますが、当時はまだ「心とは何か?」というものがはっきりしない時代で、音楽は魂をふるわせるもの、楽しいもの、など表面的な心の動きとしてしか作用しませんでした。

音楽とは全く別系統で心理学の動きも出てきます。今までは心の問題は宗教的なもの、または哲学的なものとして扱われてきましたが、医学や生物学、言語学、動物行動学と分離と吸収を繰り返して人間の心を探究する今の心理学の源流が出来てきました。今の私たちが心理学と呼んでいるのは19世紀に入ってからの学問です。

世の中の偉大な発明が最初は軍事に関連して開発されることが多いように、音楽療法の直接的な原型は戦争中に生まれました。第一次から第二次世界大戦中、大量の負傷者を抱えたアメリカは野戦病院で音楽を流すことで回復が早まることを見つけます。この時代から音楽と心と体について科学的なデータがとられるようになり、今に至るのです。

音楽療法士という資格があります。これは具体的にはピアノなどの楽器を演奏して、そのクライアントの治療補助を行うというものです。その楽器の演奏の強弱やテンポ、展開を即興でコントロールしながら効果を上げようというものです。一見原始的なように見えますが、対象者と向き合いながら、その表情や動きを見ながら逐次内容を変化させることが出来るために臨機応変な対応が出来るのです。

ではレコードやCDをかけて心を癒す、治療の補助を行うというのはどのような流れなのでしょうか?これは本当に最近まで全く体系づけられていませんでした。先進的な医療機関では実験的に音楽を流したり、教育機関ではリトミックと並んで情操教育的に使われていました。でもそれは一部の話でデータも残りませんし、研究対象にもしにくいものだったのです。

一番の原因は音楽というより「音」の実態がコントロールしにくいものだったから、というのが大きいでしょう。人間の可聴範囲20Hzから20kHz、音量百数十dbの範囲で流すことが出来る音は本当に多彩で複雑なのです。シンセサイザーの開発から数十年、CDなどのデジタル録音から三十年弱、音楽を製作する立場から言うと「どんな音でも出せる」状況になったのはつい最近の話なのです。

現在コンピューターの助けを借りて、比較的小さな研究機関でも様々な音の合成と変化によって、人間の心身にどのような影響が起こるか調べることが出来るようになりました。その結果を持って実用的な、効果的な音、音楽を作ることが出来るようになったわけです。

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