音って何だろう?
「人の心を良い状態にする音楽」を作る、という目標にはいくつか曖昧な点が含まれている。まず「人の心」というよくわかるようでわからない広い領域を扱うことになる。心って何だ?というのは心理学の話題だが下手をすると哲学的、宗教的、倫理観的に収拾がつかなくなる。
またその「人の心」が「良い状態」というのもハッキリしない。よく「癒し」という言葉が使われるが、便利な言葉だけに注意が必要だ。興奮が治まらない人をリラックスさせるのと、気分が落ち込んでいる人を快活にさせるのは真逆の作用のはずなのに「癒す」という言葉で片付けられたりする。
じゃあ最後の「音楽」という言葉には曖昧さがないのかというと、これも微妙な問題。音を楽しむと書いて音楽。でも楽しい印象じゃない悲しい曲や激しい曲もあるのが音楽。「悲しい曲が好きな人は結局それを楽しんでいるんだろう」という言葉遊びになってしまう。ただ人間が聞く上で「楽(らく)」な音であるのは間違いないようだ。
音に関しては曖昧な点がないように見えるが、これが曲者で物理現象としての音波というのはハッキリしている。主に空中を伝播する弾性波です。急に難しい言葉ですね。要するに波です。(主にというのは空気中に限らない場面もあるためです。骨伝導スピーカーなどを想像していただくとわかります)
空気中に限れば、空気が疎密波として震える縦波は全て音波と言っていい。人間の都合で聞き取れない範囲を超音波や超低周波音なんて名付けたりしているが、本質は同じもの。そして空気が震えるということは何か原因があって震えているわけで、それが楽器だったりスピーカーだったり、物と物のぶつかりだったり、グラスの落下だったり、というのは特に本質的な違いではない、ということ。
ではそれを「音」として定義してよいかというと、間に人間を介するために話が複雑になる。音波が鼓膜に達して神経信号に変換されて音として感じるわけだが、人間は聞き間違いもすれば空耳もある。聞いてもいない音が聞こえ、鳴っているはずの音が無意識のうちに聞こえないことがあるのが人間の難しいところ。結局は「人間が音と感じた物が音」というたよりない定義になってしまう。
古典的な音楽の世界では昔からの伝統と流れで楽器の音、人間の歌声などを使って音楽を作ってきたのだけど、それぞれの音楽家は苦心を凝らして新たな音を音楽に盛り込んできた。曲の途中に実際に大砲を撃って音を入れようとしたマーラーや(本当に使ったかどうかは諸説ある)イントナルモーリを作り騒音を音楽に取り入れたルッソロなど、色々な音が必要な人もいる。
現在では人の心を動かすために様々な音が使われる。落ち着く「音楽」として鳥おnのさえずりや波の音のCDが売られていることからご存じの方もいるだろう。心音舎では音と音楽をそれほど区別することなく開発にあたっている。本当の自然音から、機械でしか出せないシンセサイズされた音まで、分け隔てなく効果的な物は使っていこう、という考えだ。